忌野清志郎_profile

忌野清志郎_profile

2023. 4. 21

1951年、東京都中野区生まれ。
1970年、RCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でデビュー。
70年代後半からロックバンドとして人気に火が点き、1980年に「雨あがりの夜空に」、「トランジスタ・ラジオ」、ライヴアルバム『RHAPSODY』がヒット。圧倒的なライヴ・パフォーマンスと奇抜なメイクと衣装でも注目を集め、「King
of Rock」「King of Live」の異名をとる。
1982年、坂本龍一とコラボレートしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」がチャート1位を獲得。
1988年に反戦、反核、反原発などを歌ったカヴァー・アルバム『COVERS』は発売中止となるが、別のレコード会社からリリースされ、オリコン初登場1位を獲得する大ヒットとなる。
RCサクセションとしての活動のかたわら、数多くのユニットでも活動。88年に結成された清志郎に似ているZERRYという人物率いる覆面バンド、ザ・タイマーズは物議を醸すが、モンキーズの「デイドリーム」を日本語カヴァーした「デイ・ドリーム・ビリーバー」は、CMソングとしても親しまれている。
1990年、アルバム『Baby a Go Go』を発表。1991年にRCサクセションは無期限活動休止を表明。
同年、細野晴臣、坂本冬美とユニット、HISを結成。1992年の5年ぶりのソロ・アルバム『Memphis』では長年ファンだった元ブッカー・T&ザ・MG'sのメンバーとテネシー州メンフィスでレコーディングを行った。
90年代から2000年は、忌野清志郎 & 23'S、忌野清志郎 Little Screaming
Revue、ラフィータフィーなどで精力的に活動。2001年からは自転車に熱中し、ツアーとツーリングを兼ねた行脚を敢行した。
2006年、公式ウェブサイト「地味変」にて喉頭癌で入院することを自らの言葉で公表、すべての音楽活動を休止する。
2008年、日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催。武道館開館以来史上最高の動員数を記録する。
2009年5月2日、虹を渡り銀河系遥か彼方へ。
5月9日、青山葬儀所にて「青山ロックン・ロール・ショー」開催。12時間にわたり行われたこのショーには43000人が参加した。
その後も清志郎をリスペクトするアーティストによるイベント『忌野清志郎
ロックン・ロール・ショー』が開催され、デビュー50周年を迎えた2020年にはYouTube Official Channelを開設。

2023年にはRCサクセションの事実上のラストアルバム『Baby a Go Go』が初アナログ化。また、忌野清志郎によるフジロックの公式テーマソング「田舎へ行こう!Going Up The Country」が、フジロッカーズの熱烈なリクエストに応えてアナログEPとしてシングルカットされるなど今なお新しいファンを獲得し続けている。

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